\小さな課題から、大きな未来をつくる/医療系学生のための課題発見術

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登壇者紹介

・伊藤栞さん(筑波大学芸術専門学群4年) 

日常から違和感を発見し、「社会をデザイン」する事を目標に活動する学生デザイナー。

・中山裕人さん(同大学医学群医学類6年)

企業と協力し企画の実現やイベントを開催する学生団体の代表でありながら、自己分析アプリの開発を同時に行う医学生。

はじめに

2021年3月21日に、お二人による対談イベントが開催されました。その際、これまでの活動事例をもとに、日々の生活の中からの課題発見からアプローチまでのプロセスとその実践方法について参加者にご紹介されました。(文:同大学医学類6年 品川司磨)

1. 課題発見とデザイン(伊藤栞さんのお話)

「上手さ」だけで評価される事が辛かった画塾時代

高校一年生で芸術系の進路に進む事を決意した栞さん。この頃から、大学受験に向けて画塾に通い始めました。当時を振り返り、学んだ事や楽しめた事は多かったものの、周囲との力の差や作品制作に対する考え方の違いから劣等感を抱えていたとの事。彼女にとって芸術の楽しみは、作品の見た目よりも、それにメッセージを落とし込む過程やそれを表現する為にどんな手法を取るかを考える事。しかし、塾でのデザインは、あくまで受験の為の鍛錬。絵が上手いかどうかのみで評価され、自分よりも絵が上手な仲間に囲まれ、試験のために作品に取り組む環境にジレンマを感じていました。

イベント広報物の制作によって再確認した自分にとってのデザイン

彼女がデザインに対する価値観を確立出来たのは、大学一年生時代、とあるイベント広報物の案件に取り組んだ時の事。広報とは関係のないイベントの打ち合わせにも全て参加し、中心的立場から作品制作を行いました。すると、想像以上に周囲から称賛や信頼を得られたそうです。当時の事を「実行員長並みにイベントを理解していた」と表現されていた事が印象的でした。その経験から、受験を経て当たり前となっていた「見た目第一主義」に再度、疑問を持つ様になりました。デザイナーとしての価値は、「見た目を作る技術の高さやセンスの良さではない事」に気付き、同時に「伊藤栞」というデザイナーがどういう役割を担っていくべきか見つめ直すきっかけとなったそうです。そして、彼女にとってのデザインとは、「文脈を作り、カタチを与える事」という一つの答えに辿り着きました。

文脈を作り、カタチを与える事とは

自らの価値観、役割を意識した事で、チームでの活動やクライアントワークにおいても、自分が「おかしい」と思う疑問やそれに対する提案を率直に発言できる様になりました。「それで物事がプラスに動き、それが自分のありたい姿でもあった」との事。そうする事こそが、彼女にとってのデザイン。また、同じ事を「社会」に対して行えば、もっと沢山の人の為になるのではないかと考える様になったそうです。この時から「社会をデザイン」する事が「夢」となりました。人の為に自らの言葉、行動で対象に正直な想いを落とし込む過程こそが、彼女にとって「文脈を作り、カタチを与える」事なのです。

デザイナーとしての自分の役割を認識し、自他問わず、社会の為に行動する彼女の「思いやり」や「正義感」に心を打たれました。お話の最後には、参加者に向けて、「課題発見のコツは、『やるべき』事を探すのではなく、『やりたい』を探す事だ」と語りかけられました。受動的に問題を受け止めるのではなく、より主体的に問題を捉える姿勢。自分が解決したい問題を発見できれば、「やるべき」事は後から自ずと見えてくるのだと感じました。

2.日常って大切(中山裕人さんのお話)

学生団体/合同会社「メドキャリ」

「他人に奉仕する事で、質的にも量的にも他人の時間を増やせる」という理由から医学の道を志した裕人さん。学生団体「メドキャリ」を始めた背景には、医学生が自分のキャリアを明確化しない事への違和感がありました。始めて既に3年近くなる団体を今も続けている理由は、社会人になると課題意識を持っても、職場の限られた環境で、それを実現する事は容易ではないと感じている為。将来に向けて、心理的障壁が少なく、かつ高い向上心を持って企画を行える場が必要であると考えたそうです。「メドキャリ」は昨年、法人化され、新たに合同会社「メドキャリ」として歩み始めました。その代表取締役を務める彼は、起業の経緯を「お金では無く、安定した場の形成と必要な時に事業を起こせる様にする為」と語られていました。言葉の裏に「医学生にキャリア形成について考える場を提供したい」という彼の「想い」とリーダーとしての「責任感」が感じられました。

自己分析アプリ「とーてん」

塾講師の経験や多くの学生と関わった事で何かをする上で「なんとなく」動機を持っているだけで、「損をしている人」が多い事に気が付いたそうです。そこから、アプリ開発を行い、自問自答形式で自分の動機を分析できるサービスを作ったとの事。「なんとなく」をより具体的に言語化する事で、より選択肢を絞る事が可能となり、それが「沢山の人」の本質的な経験に結びつくのではないかと考えたそうです。

伊藤さんと同様に、彼の活動の基盤にも「他人への配慮」があります。また、自分の想いをきちんと言語化し、自分の「役割」や「責任」を理解した上で、目標を見据えて行動されているのだと感じました。

自分の良いとする事を見つけるプロセス

お話の最後に、「やりたい」事の見つけ方、実現するまでの流れについて紹介して頂きました。「やりたい」を見つける為には、まず、日常の色んな事柄に疑問を持つ事が必要。そして、「やりたい」が見つかった時に如何に具体的に道筋をイメージし、「やりたくない」を如何に必要な道筋として捉えるかが大事であるとの事。「やりたくない」の中にも自分にとっての「メリット」が沢山隠れているそうです。「『やりたくない』は、『やりたい』の為にある物だから、僕にとって『やりたくない』はない」という彼の言葉は心に響きました。「やりたくない」と自分が避けてしまっている事にこそ、新たな経験や発見があり、更にそれらが、新たな「やりたい」に繋がるのだと気付く事ができました。

終わりに

二人の対談を通して、様々な価値観を持った人と人とが関わり合う事で自分の新たな一面を見つけられるのだと思いました。人の道を説いた儒教の教えとして、「五常の徳(仁・義・礼・智・信)」というものがあります。「仁」は、自分の役割を理解し、人と自分とを思いやる慈愛の精神。「義」とは、勇気を持って正義を貫く事。「礼」とは、礼儀礼節。「智」とは、道徳的認識や判断力。「信」とは、心と言葉、行いが一致する事で得られる信頼。お二人の価値観や多岐に渡る活動の裏に共通しているのは、正に「五常の徳」。充実した人間性、他人への「思いやり」を前提に、自分の「やりたい」事に励まれているからこそ、人から信頼を得る事や強い意志を持って行動していく事が出来るのだと思います。

余談ですが、「春秋左氏伝」という史書には、「人棄常、則妖興」(人、常を棄(す)つれば、則ち妖興る)という格言もあります。その「常」とは、正に前述した「五常」の事で、「五常を守れない社会では妖魔が充満し、人が人でいられなくなり、災難が訪れる」事を表しています。様々な問題を抱える現代は、人の「思いやり」や「責任感」が希薄化しており、「夢」や「希望」を持つのには、窮屈な社会。コロナ渦とは、この千古不磨の格言の現れである様にも感じられます。人がありのままに生きる為には、次の時代を担う私達が「五常」を思い出し、内面を磨いていく必要があるように思います。そうする事で、お二人のように、自分の「やりたい」事や「役割」が自ずと見つかり、課題も見えてくるのではないでしょうか。

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